SNSを見ていると、きれいな庭がたくさん出てきます。

雑誌を開いても、きれいな庭。

植木は整っていて、雑草もなく、光の入り方まできれい。

庭を眺める暮らし。

季節を感じる暮らし。

緑のある豊かな暮らし。

そういう言葉もたくさんあります。

自分だって、そういう庭は好きです。

庭を楽しんでほしいと思っています。

庭があることで、少し暮らしが豊かになったらいいと思っています。

だから、綺麗事が嫌いなわけじゃありません。

むしろ、綺麗事で本当に人が幸せになったり、暮らしが豊かになったりするなら、喜んで叫びます。

「庭っていいですよ」と。

何度でも言います。

でも、庭屋として住宅地を歩いていると、そんなきれいなところばかりではありません。

木が大きくなりすぎた庭。

雑草だらけになった庭。

何年も手入れされていないように見える庭。

駐車場の横にある、ただの空きスペース。

そこに雑草が生えている家もあれば、子どものプールが置いてある家もある。

そして、人が住んでいるのかどうかさえ分からない家もある。

そういう庭を見ていると、少し苦しくなることがあります。

その庭にも、きっと理由がある。

昔は誰かが手入れしていたのかもしれない。

子どもが小さい頃には、そこで遊んでいたのかもしれない。

木を植えたときには、これから大きくなるのを楽しみにしていたのかもしれない。

でも、暮らしは変わります。

歳も取ります。

家族も変わります。

そして、庭を手入れできなくなることもある。

庭木は、それを待ってはくれません。

人が手を入れなくても伸びていきます。

そんな現実をたくさん見ていると、

「庭は暮らしを豊かにしてくれます」

と簡単に言ってしまうことに、少し抵抗が出てきました。

もちろん、庭にはそういう力があると思います。

自分もそう信じています。

ただ、それだけではない。

庭には、暮らしの喜びも出るけれど、暮らしの変化や老い、家族の事情も出る。

庭はきれいなものだけを映すわけじゃない。

だから最近は、庭を見るのが少し怖いくらいです。

見なくてもいいものまで見えてしまう。

考えなくてもいいことまで考えてしまう。

でも、それでも庭が嫌いになったわけではありません。

むしろ逆です。

もっと庭のことを知りたいと思うようになりました。

綺麗な庭だけじゃなくて。

荒れた庭も。

使われなくなった庭も。

誰かの暮らしが残っている庭も。

そして、その先にある庭も。

綺麗事で幸せや豊かさを手に入れられるなら、喜んで綺麗事を叫びたい。

庭っていいですよ。

庭を楽しみましょう。

庭のある暮らしって、いいですよ。

本当にそう思うから。

ただ、その言葉を口にするなら、綺麗な庭だけじゃなく、現実の庭もちゃんと見ていたい。

そう思っています。

庭屋として、まだまだ分からないことばかりです。

だから、これからも歩いて、庭を見て、考えていこうと思います。